子どもが生まれてから、休日の過ごし方がずいぶん変わりました。
独身の頃なら、休みの日にわざわざ公園へ行って、虫を探したり、魚を眺めたりすることなんて、ほとんどなかったと思います。
でも、子どもができると不思議なもので、
「今日は何を見せようかな」
と考えるようになりました。
動物園に行ったり、水族館に行ったり。
公園でアリを見つけたり、ダンゴムシを探したり。
夏になればセミを追いかけ、春になれば花の周りを飛ぶ虫を眺める。
そんな時間を、子どもと一緒に楽しむようになりました。
そして最近、ふと思うことがあります。
デジタルがこれだけ身近になった今だからこそ、子どもには「本物の生き物」に触れてほしい。
これは「子どもにスマホやタブレットを使わせるな」という話ではありません。
私自身、動画も見せますし、デジタルにはデジタルの良さがあると思っています。
ただ、それとは別に。
幼児期だからこそ、本物の生き物を見たり、触れたりする経験には、何か特別なものがあるんじゃないか。
二児の父親として子どもと過ごす中で、そんなことを考えるようになりました。
デジタルで生き物を見るのは、本当に便利!

今は、本当に便利な時代です。
「カブトムシ」と検索すれば、すぐに写真が出てくる。
動画を見れば、カブトムシが飛ぶところも見られる。
ライオンの狩りも、深海の生き物も、自宅にいながら見ることができます。
しかも、何度でも見られる。
わからないことがあれば、その場で調べられる。
これは、昔の子どもからすれば考えられないくらいすごいことです。
だから私は、デジタルを否定するつもりはありません。
むしろ、生き物に興味を持つきっかけとして、動画や図鑑アプリを使うのもいいと思っています。
ただ。
画面の中のカブトムシと、目の前にいるカブトムシは、やっぱり違う。
そこには、幼児期だからこそ経験してほしい違いがあると思っています。
本物の生き物は、思い通りにならない

画面の中の生き物なら、見たいところまで戻せます。
一時停止もできる。
何度でも同じ場面を見ることができます。
でも、本物はそうはいきません。
アリを見つけても突然どこかへ行ってしまう。
捕まえようとしたら逃げる。
カブトムシを手に乗せたら急に動き出す。
動物園で「こっちを向いて」と思っても、もちろん言うことなんて聞いてくれません。
子どもにとっては、これが面白いんですよね。
「どこに行った?」
「また出てくるかな?」
「次は捕まえられるかな?」
自分で考えて、予想して、外れる。
そして、また見てみる。
本物の生き物には、こうした予測できなさがあります。
そして私は、この「思い通りにならない」という経験が、幼児期には結構大切なんじゃないかと思っています。
生き物を相手にすると、子どもは待つ

生き物は、こちらの都合では動いてくれません。
虫を探していても、すぐに見つかるとは限らない。
魚を見に行っても、近くを泳いでくれるとは限らない。
鳥を見つけても、写真を撮ろうとした瞬間に飛んでいく。
だから、ときには待つ必要があります。
「もう少し見てみよう」
「どこにいるかな」
「出てくるかな」
そんな時間が生まれます。
もちろん、子どもが毎回じっと待てるわけではありません。
すぐに飽きることもあります。
それでもいいと思っています。
大人が用意したコンテンツを一方的に消費するのではなく、自分から探して、自分のタイミングで何かを見つける。
そんな遊びを経験できるだけでも、十分意味があるんじゃないでしょうか。
「見る」だけではわからないことがある

生き物は、見るだけでも面白い。
でも、実際に触れてみると、さらに印象が変わります。
ダンゴムシを手のひらに乗せたときの感触。
カブトムシの足が手に引っかかる感じ。
魚を触ったときのぬるっとした感触。
葉っぱの硬さや柔らかさ。
土の匂い。
水の冷たさ。
こういうものは、画面からは伝わってきません。
もちろん、無理に触らせる必要はありません。
虫が怖い子もいるでしょう。
動物が苦手な子もいる。
それでいいと思います。
「怖かった」
「触れなかった」
という経験だって、その子にとっては本物との出会いです。
怖いけれど、ちょっと気になる。
もう少し見てみたい。
そう思うこともあるでしょう。
本物を見ると「なんで?」が生まれる

私が子どもと生き物を見ていて面白いと思うのが、そこから会話が始まることです。
「なんで飛ぶの?」
「どこに帰るの?」
「何を食べるの?」
「これは赤ちゃん?」
「寝るの?」
「死んだらどうなるの?」
大人でも答えに困るような質問が飛んできます。
でも、それでいい。
「パパもわからないな」
と言って、一緒に図鑑を開いてもいい。
家に帰ってから動画で調べてもいい。
そう考えると、本物とデジタルは対立するものではないんですよね。
むしろ、
本物を見る。
↓
「もっと知りたい」と思う。
↓
図鑑や動画で調べる。
↓
また本物を見たくなる。
そんな循環ができたら、とてもいいと思います。
子どもの「好き」は、意外なところから始まる

子どもが何に興味を持つのかなんて、親にはわかりません。
「これは絶対に面白い」と思って連れていっても、まったく興味を示さないこともあります。
逆に、大人からすると何でもないようなものに夢中になることもある。
道端のアリをずっと見ている。
ダンゴムシを何匹も集める。
水族館で一匹の魚から離れない。
公園で鳥を見つけて追いかける。
そんな小さな経験が、いつか「好き」につながるのかもしれません。
別に、将来昆虫博士になってほしいわけではありません。
魚が好きになってほしいわけでもない。
ただ、
「世の中には、自分がまだ知らない面白いものがある」
という感覚を持っていてほしい。
親としては、それだけでも十分だと思っています。
子どもと生き物を見ると、親も変わる

そして、これは子どものためだけではありません。
子どもと生き物を見るようになって、私自身も以前より周りの生き物を見るようになりました。
公園で子どもが、
「パパ、あれ!」
と指を差す。
そこを見ると、小さな虫がいる。
「おお、何だこれ?」
となって、一緒に調べる。
そんなことをしていると、いつの間にか親のほうが夢中になっていることもあります。
子どもに何かを教えているつもりが、実は自分も知らないことを知っていく。
子育てには、こういう面白さもあると思っています。
デジタルを遠ざけたいわけではない

ここまで書いてきましたが、私は子どもからデジタルを遠ざけたいわけではありません。
これからの時代、デジタルとの付き合いは避けられないでしょう。
動画を見ることもある。
タブレットを使うこともある。
ゲームをすることもある。
それ自体が悪いことだとは思いません。
ただ、その一方で、
公園に行く。
土を触る。
虫を見る。
魚を見る。
動物を見る。
植物に触れる。
そんな時間も残してあげたい。
デジタルが便利になればなるほど、私はむしろ「画面の外」を大切にしたいと思うようになりました。
幼児期だからこそ、本物を見せたい

30代半ばになって、二人の子どもの親になって。
昔の自分なら気にも留めなかったようなことを、今は子どもと一緒に楽しんでいます。
アリを見つける。
虫を追いかける。
魚を見る。
鳥を探す。
動物園へ行く。
水族館へ行く。
やっていることだけを見れば、たいしたことではありません。
でも、子どもが小さい今だからこそ、こういう経験をたくさんさせてあげたいと思っています。
もちろん、すべての子どもが生き物好きになる必要なんてありません。
虫が嫌いでもいい。
動物が怖くてもいい。
触れなくてもいい。
ただ、一度くらいは「本物」を見てほしい。
そして、
「なんだこれ?」
「どうなってるんだろう?」
と思ってほしい。
その小さな「なんだろう」が、子どもの好奇心の入り口になるかもしれないからです。
これから先、デジタルの世界はもっと便利になっていくでしょう。
画面の中で、今まで見たことのない世界まで簡単に見られるようになると思います。
だからこそ私は、子どもたちには画面の外にも、まだまだ面白い世界があることを知っていてほしい。
逃げる虫。
思い通りにならない動物。
触ると少し怖い生き物。
いつの間にか飛んでいってしまう鳥。
そういう「面倒くさくて、予測できなくて、思い通りにならないもの」と出会う経験も、子どもの世界を広げてくれると思っています。
そして何より。
子どもと一緒に、
「なんだろうね?」
と言いながら生き物を眺める時間は、親にとっても案外楽しいものです。
私はこれからも、子どもたちと一緒に、画面の外にある「本物」を探していきたいと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。


