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子どもが公園で虫ばかり探すのを、私は結構いいことだと思っている

知育や育児について

子どもが生まれてから、公園に行く機会がずいぶん増えました。

休日になると、子どもを連れて近所の公園へ行く。

滑り台やブランコで遊んだり、広場を走り回ったり。

子どもが小さいうちは、そんな時間が増えるものだと思います。

ところが、実際に公園へ行ってみると、こちらが思っていたようにはいきません。

遊具で遊ぶかと思えば、突然しゃがみ込む。

何をしているのかと思ったら、地面にいるアリを見ている。

少し歩けば、今度はダンゴムシ探し。

木の根元をのぞき込み、草むらを気にして、また何かを見つける。

気がつけば、遊具で遊んでいた時間より、虫を探している時間のほうが長かったりします。

正直、大人からすると「そんなに虫が面白いの?」と思うこともあります。

せっかく公園に来たのだから、もっと体を動かして遊べばいいのに。

そんなふうに思うことだってあります。

でも、最近はこう考えるようになりました。

子どもが公園で虫ばかり探しているのは、結構いいことなんじゃないか。

30代半ばになり、二人の子どもの父親になって、そんなことを思うようになりました。

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子どもにとって、公園は遊具で遊ぶだけの場所ではない

大人にとって、公園といえば何を思い浮かべるでしょうか。

滑り台、ブランコ、砂場、広場。

子どもを遊ばせる場所というイメージが強いかもしれません。

私も、子どもが生まれる前はそれほど深く考えていませんでした。

ところが、子どもと公園へ行くようになると、少しずつ見方が変わってきます。

子どもは、こちらが想像していなかったものに興味を持つんですよね。

遊具へ向かう途中でアリを見つける。

花の周りを飛んでいる虫が気になる。

植え込みの下に何かいないか、しゃがんで探してみる。

大人なら、そのまま通り過ぎてしまうような場所です。

でも、子どもは立ち止まります。

そして、なかなか動きません。

親としては先へ進みたいのですが、子どもにとっては、目の前にある小さな世界が気になって仕方がないのでしょう。

そう考えると、公園は単に遊具で遊ぶ場所ではありません。

子どもが自分で面白いものを見つける場所でもある。

私は、そう思っています。

大人が用意した遊びより、子どもが自分で見つけたものに夢中になる

親になると、子どもにいろいろな経験をさせてあげたいと思います。

体を動かしてほしい。

友達と遊んでほしい。

自然に触れてほしい。

できることなら、いろいろなことに興味を持ってほしい。

だから、休日には公園へ連れていったり、動物園や水族館へ行ったりする。

せっかく時間をつくったのだから、何か楽しい経験をしてほしいと思うわけです。

ところが、親が期待していたことと、子どもが実際に夢中になることは、案外違います。

大きな遊具がある公園に連れていっても、ずっと地面を見ている。

きれいな花が咲いていても、花より、その近くにいるアリが気になる。

親としては、もっとほかに面白いものがあるのに、と思うこともあります。

でも、よく考えてみると、これは面白いことです。

親が「これを楽しんでほしい」と用意したものではなく、子ども自身が自分で見つけたものに夢中になっているのですから。

誰かに遊び方を教えてもらったわけでもない。

大人から「ここを見てごらん」と言われたわけでもない。

自分で見つけて、自分で気になって、自分から近づいていく。

誰かに与えられた楽しさではなく、自分で見つけた楽しさ。

子どもが虫を探している姿を見ていると、こういう時間も大切にしたいと思います。

虫を探す時間は、思った以上に自分で考える時間なのかもしれない

子どもが虫を探しているとき、何を考えているのでしょうか。

もちろん、本人に聞いてみなければわかりません。

ただ、そばで見ていると、いろいろなことを試しているように感じます。

アリを見つける。

どこへ向かっているのか追いかける。

見失ったら、もう一度探す。

ダンゴムシがいそうな場所をのぞき込む。

見つからなければ、別の場所へ移動する。

大人からすれば、ただ虫を探しているだけかもしれません。

でも、子ども自身は、自分なりに考えながら動いています。

「こっちに行ったかな」

「ここにいるかな」

「もう一匹いるかな」

そんなことを考えているのかもしれません。

もちろん、虫探しをすれば必ず集中力が身につくとか、考える力が伸びるとか、そんな単純な話ではないと思います。

ただ、少なくとも、自分で気になるものを見つけて、試して、また探すという経験にはなっています。

親が答えを用意してあげなくても、子どもは自分なりに楽しみ方を見つけていく。

私は、そこに意味があると思っています。

何かを教え込む時間だけが、子どもの成長につながるわけではありません。

大人には無駄に見えるような時間の中にも、子ども自身が経験していることがあるのだと思います。

「早く遊ぼうよ」と言いたくなるけれど

とはいえ、親だっていつも心に余裕があるわけではありません。

公園に来たのに、なかなか先へ進まない。

少し歩いては立ち止まり、また虫を探す。

帰る時間が近づいているのに、まだ地面をのぞき込んでいる。

そうなると、「もう行こうよ」と言いたくなることもあります。

私も、子どもの興味をいつでも優先できるほど、できた親ではありません。

予定だってありますし、ほかにもやりたいことはあります。

だから、何時間でも虫探しに付き合うべきだとは思っていません。

帰る時間になったら帰る。

危ない場所には近づかせない。

ほかの人の迷惑になることはしない。

そういう線引きは必要です。

ただ、時間に余裕があるときくらいは、少し立ち止まってみてもいいのかなと思います。

大人からすれば、何でもない場所でも、子どもにとっては気になるものがあるのかもしれません。

すぐに次へ進ませるのではなく、もう少しだけ一緒に見てみる。

「何を見つけたの?」

「どこに行くんだろうね」

そんなふうに声をかけてみる。

それだけで、子どもが見ている世界を少しだけ知ることができます。

子どもに付き合っているつもりが、いつの間にか自分も地面をのぞき込んでいる。

子育てには、そんな時間もあるんですよね。

子どもの好奇心を、大人の都合で狭めたくない

子どもには、いろいろなことに興味を持ってほしい。

そう思う一方で、親はつい、興味の持ち方まで期待してしまうことがあります。

せっかく動物園に来たのだから、いろいろな動物を見てほしい。

公園に来たのだから、元気に走り回ってほしい。

知育玩具を買ったのだから、いろいろな遊び方をしてほしい。

でも、子どもが何に夢中になるのかは、親にもわかりません。

こちらが用意したものに興味を示さないこともあれば、予想もしなかったものに何十分も夢中になることもあります。

それが子どもなのだと思います。

もちろん、すべての興味をそのままにしておけばいいわけではありません。

危険なこともありますし、周囲への配慮も必要です。

それでも、安全な範囲で夢中になっているのであれば、できるだけその気持ちを大切にしたい。

虫ばかり探しているなら、虫を探せばいい。

石が好きなら、石を眺めていてもいい。

水たまりが気になるなら、どうして気になるのか、一緒に考えてみてもいい。

親が思い描いた休日の過ごし方と違っていても、子ども自身が面白いと感じているなら、それはそれでいいのではないでしょうか。

子どもにいろいろな経験をさせることと、子どもの興味を親の思いどおりに導くことは、別の話です。

私は、そこを間違えないようにしたいと思っています。

虫が好きになってほしいわけではない

ここまで書いてきましたが、別に、子どもたちに昆虫好きになってほしいわけではありません。

将来、昆虫博士になってほしいわけでもない。

生き物に詳しくなってほしいと、無理に思っているわけでもありません。

もちろん、興味を持ってくれたら、それはうれしいことです。

でも、

私がいいなと思っているのは、虫そのものよりも、

子どもが自分で何かを見つけて、夢中になっている姿です。

世の中には、まだ知らないことがたくさんある。

いつも通っている公園にも、知らない生き物がいる。

普段は気にも留めない場所に、面白いものが隠れている。

そういうことを、自分自身の経験として知っていく。

その積み重ねが、子どもの世界を広げていくのではないかと思っています。

そして、それは虫でなくてもいい。

電車でも、石でも、植物でも、工作でもいい。

子どもによって、興味を持つものは違います。

だからこそ、親が「これがいい」と決めつけすぎず、その子が何に心を動かされるのかを見ていたいと思うのです。

子どもと公園へ行くと、親のほうも変わっていく

子どもが生まれる前の私は、公園で虫を探すことなんて、ほとんどありませんでした。

道端にアリがいても、そのまま通り過ぎていたと思います。

でも、子どもと一緒に過ごすようになってから、足元を見る機会が増えました。

子どもが立ち止まる。

何かを指さす。

「パパ、見て!」

そう言われて、初めて気づくものがあります。

小さな虫が動いている。

草の陰に何かがいる。

いつも歩いている場所にも、知らない世界が広がっている。

子どもに教えているつもりが、自分も一緒になって面白がっている。

大人になると、目的地へ早く着くことや、予定どおりに物事を進めることを優先しがちです。

私自身、仕事では効率や合理性を考えることが多いですし、休日だって限られた時間を有効に使いたいと思うことがあります。

でも、子どもと公園を歩いていると、予定どおりに進まないからこそ出会えるものもあるのだと感じます。

虫を探していたせいで、なかなか前へ進まない。

でも、そのおかげで、親子で何かを見つける。

そんな寄り道も、悪くないものです。

むしろ、子どもが小さい今だからこそ、こういう寄り道を一緒に楽しんでおきたいと思っています。

まとめ:公園で虫ばかり探していても、それでいい

子どもが公園で虫ばかり探している。

遊具で遊んでほしいのに、地面ばかり見ている。

せっかく来たのだから、もっといろいろな遊びをすればいいのに。

親としては、そんなふうに思うこともあります。

でも、子どもは子どもなりに、目の前の世界を楽しんでいるのかもしれません。

自分で見つけて、気になって、近づいて、追いかけてみる。

そんな経験を通して、少しずつ自分の世界を広げているのだと思います。

もちろん、毎回好きなだけ虫探しをさせられるわけではありません。

帰る時間もありますし、安全に気をつける必要もあります。

それでも、時間に余裕がある休日くらいは、子どもの寄り道に付き合ってみたい。

大人からすれば何でもない場所に、子どもは面白いものを見つけているのかもしれないからです。

30代半ばになり、二人の子どもの父親になって思うのは、子どもに何かを教えることばかりが、親の役割ではないということです。

子どもが何に興味を持つのかを見て、一緒に面白がる。

ときには、自分も知らないことを教えてもらう。

そんな時間も、子育ての大切な一部なのだと思います。

子どもが公園で虫ばかり探していたら、私はこれからも、できるだけ一緒にしゃがみ込んでみたい。

「何がいるんだろうね」

そう言いながら、子どもと一緒に地面をのぞき込む。

いつか子どもたちが大きくなれば、そんな時間も少しずつ減っていくのかもしれません。

だからこそ、今は急がせすぎず、寄り道も楽しみたい。

子どもが夢中になっているものを、大人の尺度だけで「たいしたことがない」と決めつけない。

そんな父親でありたいと思っています。

最後までご覧いただき、ありがとうございました!

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